天才詩人こうやまあきらのブログ!

パワースポット巡り100ヶ所、野球観戦100試合、日本酒100銘柄の年間トリプル100を目指して

2014年2月 奈良「もう一つの建国の地」巡りの旅  【旧ブログより】

 

最近、「奈良」に旅していません。そろそろ禁断症状がでてくるかも(苦笑)

わたしのパワースポット巡り600ヶ所超で、最も思い出深い・・・奈良。

これまで縁の無い土地だったけど、ここで死ねたら本望だと思った・・・奈良。

わたしの人生に最も影響を与えたと言っても過言ではない心のふるさと・・・奈良。

奈良について書いた日記を、閉鎖中の旧ブログから引っ張ってきました。

  

もう一つの建国の地  2014/02/10

雪が吹雪いても、みぞれが降っても愛おしい奈良に行って参りました!

 
「京都」では外国人観光客をかなり見かけたのですが、奈良に来たらさっぱりその姿が見られませんでした。こっちがオリジナル・ジャパンなのに。こっちがリアル・ジャパニーズ・スピリットなんですけどねえ。外国人のみなさんも、クール・ジャパンとかいって日本文化にだいぶ詳しくなってきたみたいですけど、京都に留まっているようでは、まだまだ。だからぼくは、外国人をちっとも恐いとは思わないのです。これが、「箸墓古墳」に行ったり、「三輪山」に登りはじめたりしたら恐いと思うんですけどねえ~。
ところで、明日は何の日だか知ってますか?そう、明日は神武天皇が日本国を建てた記念の日なのです。だから、みなさん会社を休めるんですよ。その場所となった「橿原神宮」に、昨年行ってきたことは12月28日のブログに書きました。
ところがです。奈良には、「神武天皇が国を建てたのは、そこじゃない、こっちですよ」と異説をとなえる別の神社があるのだとか。いやー、びっくり。なので、明日は「建国記念の日」に「建国の地」を訪ねるパワースポット巡りについて書こうと思います。どうぞ、よろしくお願いします。

 

建国の地をめぐる掖上駅一帯  2014/02/11

前回は、(大神神社から見える)葛城山金剛山の麓を通る葛城古道を5時間以上かけて歩きました。今回は、さらにその先へ行ってみようと思いました。
いろいろ調べていると、前回降りた御所駅の二つ先にある「掖上駅」に、驚くようなことを謳っている神社を見つけました。前回、かの神武天皇が即位して大和の建国の地となった橿原神宮へ行きましたが、なんと、もう一カ所、「われこそは建国の地」を名乗っている神社があったのです。しかも、その神社、そのものズバリ「神武天皇社」を名乗っているのです。これは、けっして看過できない問題でしょう。さっそく、その神武天皇社へ行ってみることにしました。

 
奈良駅からことこと約40分、JR和歌山線に乗って掖上駅で降りました。周囲に何も見当たりません。道を聞こうにも駅員がいない無人駅ですし、誰も歩いていないし、ふつう駅前には簡単な観光案内の看板が立てられていたりするものですが、そういったものすらないのです。こんなところに、そんな大層なものがあるのか?と心配しながら、見づらいスマホの地図を頼りに歩いていきました。

 
15分ほどすると、かなり細まった民家の間を抜けたところに、神社が見えてきました。

 
ここが「神武天皇社」のようです。境内はそんなに広くない、でも、拝殿やその後ろにある本殿から「パワースポット特有のこめかみ辺りにキーンとくる痛み」がきます。そのキーンの種類が「神武天皇のイメージ通り、威厳のあるキーン」なので思わず背筋がしゃんと伸びました。おお恐わっ、ぱんぱん!っと。

パワースポット巡り(167)「神武天皇社」


さらに、境内の後にある山に階段が見えました。その先に何やら赤い建物が見えます。なんか神社っぽいので、登ってみることに。

 
いったん神武天皇社を出て、階段を登っていくと、やはりあったのは神社でした。思いのほか強力で、「キーンどころではなくキンキン」と響いてきます。「お力添えをよろしくお願いします」と頭を下げてから、ぱんぱん!っとしました。

 
狛犬の顔が、風雪で削られてか「パグ」顔になっていました。かわいいなあ〜。かわいいパグ君にも、ぱんぱん!っと。

 
パワースポット(168)「燕神社」

 
燕神社から神武天皇社にもどる途中、その横にある建物の周辺からもきました。

パワースポット(169)「水平社博物館」

 
ーところで、ここは何を根拠に建国の地だと言うのでしょうか?
神武天皇が即位した「橿原の宮」は、「日本書紀」では、畝傍山の「東南の橿原」にあったと書かれています。その話に基づいて、明治の時代に建てられたのが橿原神宮です。ところが、そうではなくて「西南の柏原」にあったのではないかという、もう一つの説があるのだそうです。かの本居宣長先生もその説を支持していたんだとか。そして、その「西南の柏原」とは、この地であり、ここにあるわが社こそが本当の「橿原の宮」ではないのか?という説が根拠になっているそうです。
・・・うーん、どっちなんでしょう?なにせ大昔のことですからね。パワースポットからの視点でいえば、橿原神宮は広範囲で強力なパワーがきましたが、こちらも隣の水平社博物館や燕神社を含めた一帯を境内とすると、同じぐらいのパワースポットになります。もうこれは、「邪馬台国が九州にあったのか?近畿にあったのか?」と同じレベルぐらいの歴史浪漫なのではないでしょうか。

 
ーさらに、
神武天皇は即位された後、近くの山に登って自分の国を見渡して(国見)、「狭いけれど、豊かな山が連なった、すばらしい国を得た」と言われたそうです。この国見の行われた山「国見山」が近くにあるというのも、ここが建国の地であるという理由になっているんだそうです。その国見山の麓に神社があるらしいので行ってみることにしました。


駅の反対側に回って歩いていきます。すると途中、掖上郵便局からT字路を左にちょっと曲がった直線道路沿いの田んぼできました。こんなところがパワースポットのようです。

パワースポット(170)「掖上郵便局近くの田んぼ」

 
さらに、このお寺の近くを通ると、かなり強くきました。でも、門が堅く閉ざされていて入れず。

パワースポット(171)「阿弥陀寺

 
そして、さらにまっすぐ進んでいくと、国見山の入口に鳥居が見えてきました。もうちょいだ。

 
さあ、着きました、国見神社です。ここはすごい!キーンとくるのでパワースポットに間違いはないのですが、それよりも古さびた雰囲気がすごくて、心引かれます。

 
鳥居に、灯籠に、階段に、この苔むす感じがすばらしいです。こういう神社に出会うと、もうパワーがあるとかないとか、どうでもよくなってきます。ぱんぱん!っと。



パワースポット(172)「国見神社」

 
この小さな駅の周囲に、こんな大きな物語とパワースポットがひそんでいるとは、さすが奈良ですねー。

 

鴨都波神社&高鴨神社   2014/02/12

昨年、歩いた「葛城古道」の先に、なかなか興味深い「二対の神社」があるようなので、行ってみることにしました。そこは、「パワースポット好き」のみならず「歴史ミステリー好き」にとっても、たいへん興味をそそられる神社のようです。
まずは一社目から。御所駅から歩いて10分ほどのところにある「鴨都波(かもつば)神社」です。この一角だけ深い森のようになっていて、
「拝殿」や、

 
「稲荷神社」や、

 
「神農社」辺りで、「パワースポット特有のこめかみ辺りにキーンとくる痛み」を感じます。

 
しかし、なんといっても、ここでしょう。
この「遙拝所」から発せられるのが最も強力で、ただならぬ雰囲気を感ます。畏怖の心をもって、ぱんぱん!っとしました。

パワースポット(173)「鴨都波神社」

 
次にバスに乗って移動、前回歩いたゴール地点「高天原」のもうちょっと先まで行きます。そこにあるのが「高鴨(たかがも)神社」です。

 
さあ境内へ。・・・と、そのまえに、お腹が空いてきたので、隣にある蕎麦屋で昼食をとることにしました。「そば小舎」という店です。何気なく入ったのですが、ここの蕎麦のうまいこと、うまいこと。シャリシャリとした堅い独特の歯ごたえがありました。今まで食べた蕎麦の中で確実にベスト5に入るでしょう。

  

お腹がふくれたところで境内に入りました。むむむ!こっちの方から(境内の右手から)きますね。

 
そっちの方へ回ってみると、このように摂社が並んだ広い場所に出ました。そこをさらに奥に進んでいくと、

 
立ち入り禁止になっている小高い山のような区域がありました。どうも、そこから強烈にくるようです。あそこに神様がいらっしゃるのでしょう。ぱんぱん!っと。

パワースポット(174)「高鴨神社」

 
ではなぜ、この二つの神社が興味深いのか?ーそれは、その歴史にあります。
この二社、創建がなんと弥生時代にまで遡るらしいのです。どこからかやってきた「謎の一族」が建てたのだそうです。その一族は「鴨一族」と呼ばれ、やがて全国に散らばっていったといいます。全国にいる「賀茂」や「加茂」や「鴨〇」さんは、みんなこの鴨一族の子孫らしいです。中学時代、同じクラスに加茂君がいたのですが、鴨一族の子孫だったってことですね。
その中でも、京都に移った一族が、故郷にあるこの「鴨都波神社」と「高鴨神社」を模して建てたのが、あの有名な「下賀茂神社」と「上加茂神社」なんだそうです。京都の方がめちゃくちゃ有名になったけれど、オリジナルはこっちみたいです。なんかそういうアピール下手なところが奈良っぽいなー(苦笑)
それにしても、この謎の鴨一族が気になります。すると、境内に立っている案内書きに、こんなことが書かれていました。なんでも「カモ(鴨)はカミ(神)の語源のひとつとして考えられている」んだとか。へー、これはすごいなあー。この一族がものすごい特殊な能力や技術をもっていて、それを見て畏れおののいた周りの人たちが「神という概念」を作りあげたのかもしれません。いつかこの一族を追いかける旅をやってみたくなりました。

  

「鴨(神)山あきら」です(笑) 

 

日本武尊白鳥陵  2014/02/13

奈良巡りもいよいよ終盤に入り、帰りの時間まで残りわずかになりました。長時間歩きつづけて、ふらふらになりながら玉手駅で降りました。ここがおそらく今回最後の目的地。最後の力をふりしぼって、とある人物のお墓へと向かいました。その人物とは「ヤマトタケル」。午前中、たまたま御所駅の観光案内地図で見かけて、心が震えたのでした。ここを最終目的地にしようと決めたのでした。なにしろ前世がヤマトタケルのぼくにとって(妄想)、ここ、こそ最後の地にふさわしいじゃないですか~。
ただひたすら直線道路をテクテクテクテク・・・。ああ、かなりキツイ!いつもこうだ。思えば、奈良の最後はいつもこうなるのです。最後はかならず思わぬものが見つかって、まるで導かれたように、気力をふりしぼって訪れることになるのです。
ーそして、最後に見たものは、それはもう、ものすごい、今回の奈良で出会ったどの聖域よりも、「圧倒的な強さと崇高さをもったパワースポット」でした。「自国の周りは油断がならない敵ばかり」という時代だからこそ、現代のヤマトタケルが必要とされているのではないでしょうか。今では草薙剣をペンに変えていますが、「大和のために戦いつづける覚悟は、現世の自分にもありますよ」と誓って、ぱんぱん!っとやりました。

 


 
これをもって、今回の奈良の旅は終了。また、近いうちに来たいですねー!

 

奈良先端大学だあ!?  2014/02/14
奈良が「先端」をいっちゃまずいでしょう。他から「周回遅れで走っている」のが奈良の魅力なんだから。

 

奈良の甘酒はショウガ味  2014/02/16  

甘酒のスタンダード・スタイルって、どうやら地方、地方で違うようです。お雑煮がそうであるように。奈良の甘酒にはおしなべてショウガが入っているようです。
大神神社で飲んだ甘酒も、


桧原神社で飲んだ甘酒にもショウガが入っていました。


さらに、これ!
なんとコンビニで売ってる甘酒にもショウガが入っているんですよ!これにはびっくりですよねー。


いつか、「全国甘酒マップ」でも作ろうかなー

 

衝撃の発車時刻  2014/02/16   

「奈良の山手線というべき大和路線」の、それも「奈良の渋谷駅ともいうべき王寺駅」なのに、10時27分のつぎに電車がくるのが15時29分という衝撃・・・
他と流れている時間がちがう!

 

奈良の今西酒造「三諸杉」で造った甘酒  2014/02/17

奈良といえば、ここの甘酒にふれないわけにはいきません。

大神神社へ行ったことがある方はわかってもらえると思いますが、とにかく帰りが不便。なにしろ電車が1時間に1本しかないんですから。場合によっては、三輪駅に着いてから、つぎのが来るまで相当な時間を待たされるんです。
この間、時間をつぶすために、駅前にあるしゃれたカフェ・スタイルのおみやげやさんに入ってみました。メニューに甘酒があったので、体を温めようと飲んでみました。そうしたらビックリ、その美味しいこと、美味しいこと!店員さんに聞くと、このお店は地酒屋さんが経営しているんだそうです。そしてこの甘酒は、そこの酒粕を使っているんだとか。さらに聞くところによると、大神神社が日本最古の神社であるように、この「三輪の町が日本最古の酒造り」がおこなわれた町なのだそうです。そんな伝統を受け継ぐお酒から造った甘酒が「美味しくないわけがない」ですよねえ。
さっそく酒粕を一袋買っていき造ってみました。一くち、口に含んでみると、ぷーんとお酒の香りが鼻を刺激してきました。嗚呼、美味すぎる!今まで飲んできた甘酒のなかでもトップクラスの味と言えるでしょう。

 

 《つづく》

2013年12月三連休 奈良「大和民族の物語」巡りの旅 【旧ブログより】

 

最近、「奈良」に旅していません。そろそろ禁断症状がでてくるかも(苦笑)

わたしのパワースポット巡り600ヶ所超で、最も思い出深い・・・奈良。

これまで縁の無い土地だったけど、ここで死ねたら本望だと思った・・・奈良。

わたしの人生に最も影響を与えたと言っても過言ではない心のふるさと・・・奈良。

奈良について書いた日記を、閉鎖中の旧ブログから引っ張ってきました。

 

お奈良してきます!  2013/12/20

明日から奈良へ行ってきます!この三連休は奈良で過ごします。この一年間で、もう三回目の奈良です。
ほら、下のスマホの画面を見てください。本来は東京の天気が表示されるところに、最近、奈良の天気が表示されるようになったんですよ。設定をいじったわけでもないのに。不思議です。ぼくの奈良への強い思いが伝わったんでしょうか~。

 

まずは大神神社へ  2013/12/23

三連休第一日目ー。
早朝の新幹線に乗り込み、けっこう早い時間に京都駅に到着しました。ところが、ここから面倒なことに。京都から奈良に直行する電車がけっこうないのです。信じられないことに、近鉄の特急で一時間に一本程度しかないのですよ。・・・むむむ、これは京都の陰謀でしょう。長男坊(奈良)が鈍くさいことをいいことに・・・あ、ちょっと言い過ぎた。お人好しなことをいいことに、計算高い次男坊(京都)がちゃっかり古都の名声と富を独占しようと、通せんぼしているのでしょう。しっかりしろよ〜、ぼくと同じ長男坊〜(苦笑)
という訳で、けっこう乗り継ぎで遠回りしながらも、まず真っ先に向かったのは大神神社です。やっぱり初日はここで奈良に来たご挨拶をしなければと思いまして。2時間かけてふーふー言って御神体である三輪山に登拝しました。きのう今日と降った雨雪によって、もう土がぬかるんでぐちゃぐちゃになっていました。悪戦苦闘しながらも頂上まで辿り着き、磐座様に「お久しぶりです。奈良の旅が無事に終わりますように。パンパン!」とさせていただきました。
三輪山は神聖な御神体であるが故に、草木はもちろんのこと、石や土さえも持ち帰ってはいけません」と、登拝前に神社の方から忠告されたのですが、靴の底に土がびっしり。こ〜んなに土を持ち帰ってしまいました。バチが当らなければいいのですけど。


下山後、いつものように「大美和の社」展望台で、おそらく日本一の絶景を見渡しながら、これからの日程のことを考えました。と言いますのも、奈良に行くにあたって、いくつか候補は上げていたのですが、実際にどこに行くかは決めかねていたからです。
しばらくこの絶景を見てると、ふいに、妙案が浮かびました。

 

「そうだ、ここから見える所へ順番に行こう!」と。


まず目についたのは、あそこー  

  

葛城山のあなたの空遠く、「幸」住むと人のいふ・・・」(by ブッセ)
二日目は一番遠くに連なって見える葛城山へ。

 
そしてつぎに、あれー

「あれが耳成山、あの光のが畝傍山・・・」(by 光太郎)

三日目は大和三山に登ることにしました。

 


葛城古道  2013/12/24

三連休第二日目ー。
葛城山へ行くために「御所駅」へと向かいました。御所と書いて「ごせ」と読むそうです。駅員さんに「『おんじょ』駅は何番線に乗ればいいんですか?」と聞いて、話が伝わらずイライラしてしまいました。確かに「おんじょ」じゃ、何処のことだかわかりませんよねー。
御所駅の観光案内所に寄ったら、葛城山の麓を散策する「葛城古道」というコースがあるようでした。地図を見ると、その所々に、古めかしいおそらくパワースポットと思われる神社があるようです。さらに、「このコースの最終地点」を見てびっくり仰天してしまいました。いやー、ほんとびっくりですよ。まさか、あんな「大層なもの」が、ここにあるとは・・・。
という訳で、今日は、「あの大層な最終地点」を目指して「葛城古道」パワースポット巡りをすることにしました。

 
いくつかの神社仏閣を通り、どう見ても他人んちの田圃の畦道を通ったりして不安になりながら歩いていくと、まず最初のパワースポットがありました。葛城一言主神社です。「どんな願いでも一つだけかなえてくれる」神様を祭っている有名な神社らしく、かなりの参拝者がつめかけていました。ぼくも、ある一つの秘密のお願いをさせていただきました。(ふふっ♥️)


「パワースポット特有のこめかみ辺りにキーンと痛みがくる」のは、この御神木と、


このあたり。亀石と車をお祓いするための駐車場あたりになります。このパワースポットで車をお祓いすれば事故は起きないでしょう~。

パワースポット(150)「葛城一言主(ひとことぬし)神社」


それからまた、しばらく歩いていくと、かなり強くくる場所がありました。お寺と神社が、ほぼ隣り合わせに並んでいて、どちらからも強くきます。ややお寺のほうが強く感じるのですが、ここに限らず何処でもそうですが、お寺って入りずらいんですよ。神社は「公共の場」だという雰囲気がありますが、お寺には、お坊さんの高級車が停められたりしていて「私邸」という雰囲気がありますので。実際、そうなんでしょうけど。ここもそんな雰囲気なので、入り口の門から覗くだけで後にしました。


パワースポット(151)(152)「龍正寺」「長柄神社」


お寺を後にしてから、その前の通りをまっすぐ歩いていると道中ずうっときていました。どうやら、「この通り自体がパワースポット」のようです。
・・・ああ、すると、やっぱりありました。以前にも書いたのですが、奈良でくる土地の上にはかなりの確率で「某巨大教団Tの建物」が建っているのです。どうみても、それは偶然ではなく、「あきらかにそのパワーを吸いとろうという意志のもと建てられている」のです。それが、ここにもありました。さすがですねえ~。

パワースポット(153)「龍正寺と長柄神社から葛上中学校までの通り」

 
いくつかの神社仏閣を参拝して、いよいよゴールまであとわずかの地点まできました。けわしい山道を抜けると、突然に目の前が開けて、背後の巨大な山とともに神社が目に飛び込んできました。「高天彦神社」です。その古さびた佇まいが、なにか異様な迫力を醸し出していて、思わず腰が引けそうになりました。背後の白雲嶽が御神体なんだそうです。


強くくるのは、「向かって左にある駐車場」、


そして、この「謎の足置き場」。なんの説明もないのですが、とりあえず足を乗っけて立ってみると、かなり強くきます。

パワースポット(154)「高天彦(たかまひこ)神社」


もうすぐ最終地点というところで、へとへとになっているぼくを励ますかのように野鳥が近寄ってきました。かわいいなあー。
< ♪チュッ、チュッ(がんばれ、がんばれ)


さあ、そして、そして!

最初の御所駅から歩くこと5時間ちょっと。ついに驚きの「コースの最終地点」までたどりつきました。びっくりしますよー、ほら、あそこ。あそこにあるのは・・・

 
ふははははーっ!古代の神々よ、現代の詩の神が会いにきたぞおおおーっ!

なーんと、あの古事記にでてくる「高天原」の跡地なのです。あの神話の舞台は、どうもここらしいのです。もー、びっくりでしょう。
じゃあ、古の神々がお暮らしになっていた聖地は、いまどうなっているのかと言うとー、


無料駐車場!


さらに、無料トイレ!


・・・(汗)ま、まあ、今はかなり変わり果ててしまいましたが、ぼくたち日本人はここから出発したのであり、ここが聖地であることには変わりはありません。ここがあってこそ、今のぼくたちがいるんですから。もっと、ここを世間に広めて、大事にしていきたいと思います。

パワースポット(155)「史跡 高天原(たかまがはら)」


5時間以上歩きっぱなしで、もう足ががくがく。さあ後は、帰りのバスに乗って御所駅まで帰るだけです。なんとかバス停にたどりついてみたら、バスの到着予定がこれっ、日に3本!

ええー!っと、これにはもうア然としていたら今の時刻は14時42分で、14時43分のがすぐに来て乗ることができました。ああー、よかった。なんて幸運なのでしょう。あ、これはもしかすると、今日お参りしてきた神様たちが助けてくれたのかもしれません。いや、きっとそうに違いありません。神様たち、ありがとうございました。という訳で、心の中であらためて神様たちに、ぱんぱん!しました。

 


葛城古道の風景  2013/12/25

金剛・生駒連合(葛城山が所属している暴走族の正式名称です)

 

となりの客はよく柿食う客だ法隆寺 (by子規)
この古道に限りませんが奈良には、多くの家庭の庭や、果樹園に柿が植えられております。この写真の柿にいたっては、(おそらく)野生の柿だと思われます。

 
やーまとの諸君 (byデスラー 
コースの途中に、奈良の町並みを一望できる高台がありました。やまと(奈良)の人々の暮らしぶりを見下ろしていたら、つい、あのデスラー総統の名セリフを口に出してしまいました。

 
奈良の空は、古代の空 (by天才詩人こうやまあきら)
奈良の空は、ほかでは見られない独特の表情を見せてくれます。
ぼくは、奈良の空はきっと古代の空だと思うのです。
卑弥呼が見上げていた空、
万葉の古人たちが見上げていた空、
いま、ぼくたちが同じ空を見上げているとしたら、
たいへん浪漫チックじゃありませんか。


 


天の香久山、耳成山  2013/12/26

三連休最終日ー。
最後の日は「大和三山」に向かいました。まずは「衣ほすてふ天の香久山」と謡われた「香久山」からです。日本人にとって、「富士山」と「香久山」どっちが神聖なのでしょうか?いずれにせよ、古代より聖なる存在として扱われてきた山です。きっとパワースポットに違いありません。

 
・・・しかし。山中は木がうっそうと茂り、陽はあるのに薄暗いほど。足場も伸びた草や落ち葉ですべり、あまり人の手が入っていない印象をうけました。道も細いのが何本もあって、それらが交錯するので案内板をよく見て歩かないと迷ってしまいます。山頂に小さな神社があったのですが、とくにパワーを感じるという程でもありませんでした。ちょっと残念。

 
でも、この聖なる山は「その周辺領域」がすごいパワースポットでした。隣接する「万葉の森」あたりや、

 
「香久山神社に入る鳥居」あたり、

 
この「登山口」、

 
「お地蔵さんが並んでいるところ」あたりで「パワースポット特有のこめかみ辺りにキーンとくる痛み」がきました。

 
そして、極めつけはここ、「天岩戸神社」です。なんと、ここにある岩こそが、アマテラス様が閉じこもってしまった天岩戸らしいのです。昨日は「高天原」で、今日は「天岩戸」・・・。偶然にも、今回の旅は神話でつながってます。未だにアマテラス様が岩に閉じこもっているという伝説もあるんだとか・・・。
「ふっふっふ。では、この天才詩人様が詩を朗読して笑わせて、この岩からアマテラス様をひっぱり出してやろうか。さあ、これから日本は明るい太陽の光につつまれるぞー!」・・・ただいま激しく妄想中(苦笑)

パワースポット(156)「香久山」

 
つぎに向かったのは「耳成山」です。三山の中ではちょっぴり地味目でしょうか。でも、そういうものなのですよ。三つで並び称されるものは、たいていどれか一つが地味目に映ってしまうものなのです。三大ロックバンドのザ・フー然り、三大腕時計ブランドのオーデマ・ピゲ然り、三大珍獣コビトカバ然り、あるいはキャンディーズのミキちゃんもそうかもしれません。しかし、だからと言って劣った存在だということではありません。ほら、みてください、ピチョンとしたかわいいお姿。三山の中で、もっとも容姿に恵まれたのが耳成山なのです。

(天の香久山から撮った耳成山

 
天の香久山から40分ほど歩いて、この案内板が見えたところまで来たら、急にきました。これは期待できそうです。

 
こちらは、登山口にある鳥居から頂上までの道が一本道。しかもきちんと整備されています。逆に味気ないかも。

 
一本道を登っていった頂上に、大変に風格のある神社がありました。「耳成山口神社」というそうです。とくに拝殿できます。(結論から先に言ってしまえば)三山の中で、この神社が一番強いパワーを発しているようでした。由緒を読んでみると、ここに祭られているのは日本の最高位の神様なんだとか。「高天原」より「天孫降臨」や「神武天皇の東征」を指揮した神様らしいのです。おおっ、これでまた神話でつながりましたねえ。ぱんぱん!っと。

パワースポット(157)「耳成山(みみなしやま)」

 
耳成山を降りてから、途中で昼食をとりました。それからは近鉄に乗って最後の山である畝傍山に向かいました。しかし、畝傍山に登る前に、その麓に巨大な神社があったのでお参りしてみました。
その後、ほんとに偶然にも、今回の奈良の旅が一つの物語でつながる奇跡的な出来事がありました。それはまた明日書きますので、よろしくお願いします。

(天の香久山から撮った畝傍山

 


橿原神宮畝傍山神武天皇御陵・・・民族の物語へ   2013/12/28

最終日の続きー。
近鉄橿原神宮前駅」に到着しました。畝傍山へ登るのは、橿原神宮にある登山口からがいいそうです。駅を降りて、すぐのところにある鳥居をくぐります。
境内はけっこう広くて、すがすがしい感じ。明治神宮に似ているかもしれません。なんでも、ここは、神武天皇が初代天皇に即位した跡地なんだとか。おおっ、耳成山では、神武天皇の東征の指揮をとっていた神様とお会いしましたが、次には神武天皇その方にお会いするとは。やっぱり何かにつながってます。


拝殿の奥のほうから、かなり強く感じました。さすがです。ぱんぱん!っと。

パワースポット(158)「橿原神宮(かしはらじんぐう)」

 
境内を抜けて登山口にきました。そこにあったのが、この「東大谷日女命神社(ひがしおおたにひめみことじんじゃ)」と「義民顕彰碑」です。ともに強くきます。「義民顕彰碑」のほうは、「不作で苦しむ農民たちのために、一揆をおこして処刑された惣治郎という方の功績をたたえるため」に建立されたそうです。むむ、男としてこうありたいですね。


畝傍山の登山道は、しっかり整備されているので歩きやすいし、これまでの二つの山よりも標高があるので、しっかり登山を楽しめます。三山の中で、最もレジャーとして楽しめる山だと思いました。


頂上からは、前日に行った葛城山が見えました。また行きたいなあ。


最後に、麓に「畝火山口(うねびやまぐち)神社」があるそうなので行ってみることにしました。境内には、強いという程ではないのですが、けっこう心地よくくるパワーを感じました。


とくにこのあたり。

パワースポット(159)「畝傍山(うねびやま)」

 
ここが、この三日間の奈良を巡る旅の最終地点ですので(この時点ではそう思ってました)、「三日間、楽しめました。ありがとうございました」と手をあわせてから、ぱんぱん!っとやりました。さあ、後は、もと来た道をもどって畝傍山橿原神宮橿原神宮前駅へと帰るだけです。

・・・ところが。初日の三輪山登拝、二日目の6時間に渡る葛城古道巡り、そして今日も三山を登って5時間ほぼ歩きっぱなし。体が疲労困憊しているようで、けっこうキツいのです。そのせいか、ここで痛恨のミスをやらかしてしまいました。畝傍山の登山道をもどっている途中で、別の道に入ってしまったようです。降り立ったところが橿原神宮ではなく、どこかの公園のような広場でした。(あ、あれ、ここどこ?)ちょっと焦りましたが、「畝傍山なんてしょせん小さな山、周囲を沿って歩いていけば、すぐに橿原神宮に着くだろう」と思いまして、広場を出て、山の周囲の沿道を歩きはじめました。

住宅街で地元の人たちの暮らしぶりを眺めたり、パワースポットと思われるお寺があったので、(時間がなさそうなので立ち入らずに)遠くから眺めたりと、最初は楽しんでいたのですが、なにしろ体のほうが・・・。足はパンパンに張るわ、膝がガクガクしてくるわ、微熱まででてきて、もう限界近くまで達してきました。さらに悪いことに、いつのまにか、さっきまで見えていた畝傍山の姿が消えて、どんどん遠ざかっていることに気がつきました。これにはかなり焦って、スマホを使って現在の位置を調べてみたのですが、いま一つわからないのです。どこでもバスが通っていて、タクシーが走っていて、地下鉄の乗り入れ口があって、案内地図が立っている便利な都会生活によって、自分がいる場所だとか、帰るべく方角とか、本来、備わっているはずの野生の勘が著しく鈍っているようなのです。一瞬、脳裏に「こんな住宅地で、遭難!?」の文字が浮かびました。「こんなところでは死ねない!」と最後の力を振り絞って、畝傍山が見える場所まで戻り、そこからまたゆっくりゆっくりと歩きはじめました。

かれこれ1時間近く歩いていて、というより彷徨っていて、ようやく一本の大通りに出ることができました。「もしや、ここを歩いていけば町や駅に出るかも」と藁をもすがる思いで歩いていたら、虚ろな目にこのようなものが飛び込んできました、

 
神武天皇御陵」!?

 
何かの力に導かれるかのように中へ。砂利道に、沿道の大木という光景は高尾の「武蔵野陵」と同じでした。最後の力を振り絞って進んでいきました。もう陽が落ちかけている夕方のせいか、ほかに参拝客がおらず、ザッザッザッという音だけが周囲に響いていきました。

 
そしてついに、神武天皇の眠るお墓の前に立ちました。そのとき、ものすごいパワーが飛んできました。この三日間で、どこよりも強いパワーがきました。

パワースポット(160)「神武天皇御陵」

  

・・・そして「大和民族の物語」へ


奇しくも、この奈良の旅は、「高天原」から始まって、「天岩戸」→「天孫降臨/東征」→「大和の建国」と続き、最後は「大和の建国者・神武天皇の死」で終わるという「大和民族の物語」で終わるという旅になりました。なにか、ぼくの心のなかにざわめく感情が立ち上がってきました。今まで忘れてきた、というよりかは押さえつけてきた、「自分の民族意識」といった熱い感情が立ち上がってきたのです。「大和民族よ、奈良に帰ろう!物語に帰ろう!」そんな呼びかけが、ぼくの心の奥底から聞こえてきたように感じました。
ーさらに、「新しい物語も必要なのでは?」という声も聞こえてきました。そして、すぐに、それが作れるのは「ぼくだけ」だという声が聞こえてきたのです。
今年最後になって、こんなすばらしい体験ができたことを感謝して、奈良でお会いした他の神様たちの分も併せて最後に大きく、ぱんぱん!っとさせていただきました。


神武天皇が東征をはじめたのが45のとき。今のぼくが45。
大和の国を建てたのが52のとき。
ぼくも52のときには、何か大きなものを打ち建てたいですね。

 

 《つづく》

和紙(?)

 

名刺をワイシャツの胸ポケットに入れたまま洗濯機にかけたら、こんなシワシワに・・・。でも、見ようによっては、「和紙」に見えなくもないかも。

これからは、洗濯機にかけて「和紙加工の名刺」として売り出そうかな。

 

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【旧ブログより】

 

靴ひも 2011/02/14

道を歩いていたら
前から二人組のサラリーマンが歩いてきた。


一人が「靴のひもがほどけた」と言って、しゃがんだ。
すると、もう一人が「あ、おれもだ」と言って、しゃがんだ。
二人を見て、「えっ、まさか、ぼくも?」
なーんて、ふざけ半分で靴ひもを見たら
ほんとに、ほどけていたので、あわててしゃがんだ。


思わず
三人で顔を見合わせて
「ぷっ」って吹きだして
靴ひもをむすび直した。

 

おしくらまんじゅう  2011/03/29

朝、あまりの寒さに、歩道をいくスーツを着たサラリーマン数人が、体を温めようと無言でおしくらまんじゅうをはじめる。それを見て、小さなおしくらまんじゅうが歩道のあちこちではじまった。寒さに耐えかねたOLさんたちもそこに加わると、大きなおしくらまんじゅうがいくつもできた。「♪おしくらまんじゅう、おされて泣くな〜」と歌いながらくっついていき、おしくらまんじゅうはどんどん大きくなっていった。
そのうち「♪おしくらまんじゅう、おされて泣くな〜」「♪おしくらまんじゅう、おされて泣くな〜」とみんなが声をあわせて歌いだし、歩道いっぱいの大きなおしくらまんじゅうになった。


・・・などと妄想して楽しんでいたのがはるか昔に感じられるほど、あったかい一日でした。

 

肩書  2011/08/30

新卒で入った会社で。初出勤であいさつに向かったら、支店長の下に「副支店長」と「次長」と「支店長代理」と「支店長付役員」がいて、つぎに誰がエライのかわからなくて、あせった。(正解は副支店長でした)。ミリ単位の肩書きにこだわるサラリーマン社会を見て、なんてややこしい所に来たんだろう、って後悔しました(苦笑)

 

東京人ばっかり  2013/11/13

大阪駅に着いてから、西宮駅に行こうとしたのだがわからなくなって、駅に並んでいるおじさんサラリーマンに声をかけてみる。そうしたら、「すみません、東京から出張でこっちに来てるんでわかりません」と言われる。あ、なんだ、同じ境遇の人なのかと気をとり直して、べつの並んでいるおじさんサラリーマンに声をかけてみる。そうしたらまた、「うーん、東京から出張でこっちに来ているで、わからない」と、これまた言われる。
えー、またかと思って、今度は、おもいっきり地元大阪っぽい顔のおじさんサラリーマンを選んで声をかけてみたら、「今朝、東京から出張でこっちに来たばかりで、わからないなあ」だとっ。
もーっ、東京のサラリーマン、どこにもいすぎだよっ。



「虎徹」参上!  【旧ブログより】

 

「天才詩人こうやまあきらのブログ」も開始してからもうすぐ10年。これだけ月日が経つと、昔書いた人がもう亡くなられていたり、二度と会うこともない疎遠な関係になった人もいたり、あまり知られたくない恥ずかしい出来事なんかがいっぱい書かれていたりします。

ーそこで、

読んでいただきたい日記だけを、新しいブログ「天才詩人こうやまあきらのブログ!」へと移行させることにしました。

ただ日記数が膨大なので(2500本以上!)、暇をみつけては少しずつの移行となりますので、よろしくお願いします。

 

 

虎徹」参上! 2017/12/10

 

「今宵の虎徹は血に飢えている」新選組局長 近藤勇
「今宵の虎徹は字に飢えている」天才詩人こうやまあきら


百貨店の文房具売場で、ボールペンに無料で名前を入れるというキャンペーンをやっていました。そこで、ちょっと高めなボールペンを購入し、「虎徹」と入れてもらうことにしました。店員さんに「お、近藤勇の名刀みたいですね」と言われましたが、まさにその通り。

近藤勇が「今宵の虎徹は血に飢えている」と言って、「バッサバッサと人を斬り、血の雨を降らせてきた」ように、ぼくも「バッサバッサと字を書き、詩の雨を降らせたい」という思いをこめて決めました。
たまたま寄った百貨店でしたが、書き心地もなめらかで気持ちよく、なかなかいい買い物ができました。

 

こいつで、ひと暴れしますよー!


 

「越冬」態勢へ

 

♪ この美しい日本列島に

 クワガタ民族と大和民族の美しい共同体を作りたい

 さあ、手をとりあって

 夢の社会を作ろうよ

 おお、われらが国虫会

 栄光の国虫会

 大日本国虫会 ♪


2013年9月、駅前大型スーパーで売れ残っていた可哀想なクワガタを引き取ってやりました。はじめは、可哀想で引き取っただけでしたが、その魅力にとりつかれていくようになりました。そのうち、日本に「国虫」が決まっていないことに気づき、この魅力あるクワガタを国虫にしようという高い志をもつようになりました。そして、ついに、その志を遂げるべく「国虫会」を結成しました。総裁をはじめ要職にはわたしが就き、必ずやフリーメーソンを超える秘密結社に発展させたいと考えております。どうか、ご期待のほどよろしくお願い申し上げます。

国虫会 総裁(兼)会長(兼)理事長(兼)幹事長(兼)広報部長(兼)飼育部長 こうやまあきら

 

めっきり寒い日が増え、あの「永遠に続くのではないか」と恐怖した猛暑もすっかり昔の出来事となりました。

国産オオクワガタのニニギが、大きな体を丸めて止まり木にしがみついたまま動かなくなりました。国産で体が黒くて平べったい種族を専門用語で「ドルクス属」といいます。オオクワガタ、ヒラタクワガタコクワガタがそうです。このドルクスは、「越冬」という態勢をとり冬を越します。ドルクス以外の種族、ノコギリクワガタミヤマクワガタはできません。

(仮死状態になって冬をやり過ごす「冬眠」とは違い、意識がありますので、暖かい日が突然あると、起きだしてエサを求めたりします。そのために、エサを準備しておかないといけないので、油断ならなかったりします)

この越冬という能力は、本来、常夏の東南アジアで発生したクワガタには無かったものらしいです。北上して冬のある日本列島に移動してきた一部が、その環境に適応するために、100万年単位の長い年月をかけて遺伝子を進化させて身につけたのだとか・・・。

そんな気の遠くなる物語を聞くと、こやつらの偉大さと生命の神秘を感じずにはいられないのです。

 

< ♪春よこい、はーやくこい

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最後のお引越し


♪ この美しい日本列島に

 クワガタ民族と大和民族の美しい共同体を作りたい

 さあ、手をとりあって

 夢の社会を作ろうよ

 おお、われらが国虫会

 栄光の国虫会

 大日本国虫会 ♪


2013年9月、駅前大型スーパーで売れ残っていた可哀想なクワガタを引き取ってやりました。はじめは、可哀想で引き取っただけでしたが、その魅力にとりつかれていくようになりました。そのうち、日本に「国虫」が決まっていないことに気づき、この魅力あるクワガタを国虫にしようという高い志をもつようになりました。そして、ついに、その志を遂げるべく「国虫会」を結成しました。総裁をはじめ要職にはわたしが就き、必ずやフリーメーソンを超える秘密結社に発展させたいと考えております。どうか、ご期待のほどよろしくお願い申し上げます。

国虫会 総裁(兼)会長(兼)理事長(兼)幹事長(兼)広報部長(兼)飼育部長 こうやまあきら

 

野球シーズンも終わり、この土日はクワガタのお世話で過ごしました。「総裁」という重い肩書を名乗っていますが、実際は、お世話や雑用が仕事のほとんど。きっと、会員のクワガタたちには、「執事」とみられているにちがいありません(苦笑)

今日は、「北九州ヒラタ一家 四代目」候補の幼虫たちのお引越し仕事でした。大きく成長し、菌糸ビンが狭くなったので、より大きいビンへ移しました。これが最後の住まいになります。ここで冬を過ごし、初夏になると蛹になり、やがて黒々した鎧をまとった大人になって姿を現すのです。まだまだ先は長いですが、そのときを楽しみに待ちたいと思います。

 

<わーい、新築の豪邸、うれしいっちゃ!

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パワースポット巡り(214)(215)宮島のつづき、廿日市天満宮  【旧ブログより】

 

「天才詩人こうやまあきらのブログ」も開始してからもうすぐ10年。これだけ月日が経つと、昔書いた人がもう亡くなられていたり、二度と会うこともない疎遠な関係になった人もいたり、あまり知られたくない恥ずかしい出来事なんかがいっぱい書かれていたりします。

ーそこで、

読んでいただきたい日記だけを、新しいブログ「天才詩人こうやまあきらのブログ!」へと移行させることにしました。

ただ日記数が膨大なので(2500本以上!)、暇をみつけては少しずつの移行となりますので、よろしくお願いします。

  

【旧ブログより】

 

パワースポット!

パワースポッター!!

パワースポッテスト!!!

より強いパワースポットを求めて全国を旅します!

 

パワースポットとは何か?

ウェブを見れば、それこそ風水師、占い師、スピリチュアル・カウンセラー、パワースポット・マニア・・・と、さまざまな立場の方が独自の定義をもっておられるようです。

このわたしも定義をもっていて、その定義は「与えられた限りある命を、せいっぱい生きていく上で、そのエネルギーを充電できる場所」というもの。具体的には、「こめかみ辺りに、キーンという痛みがくる場所」を指します。この感覚はわたし独自のものであり、ほかに聞いたことがないのですが、その能力にはかなり自信をもっているのです。

そんな(自称)第一級パワースポット鑑定士が「年間100ヵ所」を目指してパワースポット巡りをおこないます。

 

パワースポット巡り(214)宮島つづき  214/11/12

ざっと回ってみて、「厳島神社」や「弥山」以外にもパワースポットがありましたので紹介します 


大願寺

 
大聖院

 
大聖院の前にある、(なぜか)郵便ポストのまわり(笑)

 
そして、「宮島最強パワースポット」だと思ったのは、「JR宮島口駅の切符売り場」(笑)

  

宮島とは、岩礁厳島神社が建っているだけで、10分もあれば周囲を回れてしまうような小さい島だと勘違いしていました。
とても一日だけでは、全体像を掴むのは無理だと思いました。歩いていると、雰囲気のある宿がたくさんありましたので、つぎはぜひ、泊まりがけで宮島巡りをしてみたいです。まだ他にも、いいパワースポットがたくさんあるのでしょう。

 

積み上げれた小石  2014/11/14

弥山を歩いていると、何度も不思議な光景を目にしました。あちらこちらに小石が積み上げれているのです。どれも絶妙なバランスをもって立っていて、「プロの石積み師による仕事」なのかと勘ぐってしまうほどでした。
それは、賽の河原を連想させる「かなしさ」と、どことない「かわいらしさ」とが相まって、なんともいえない感情を心の中に沸き立てるのです。
そして、それは、少しでも高いところに向かって、「立ち上がっていく意志」をも連想させて、なんだか「希望」のようにも見えてくるのです。

 

灯籠の上に小石が積まれております、

 
これを間近で見てみると、


ほら、


ねっ、


すごいでしょう。

  

ぼくが言わんとすることが、わかりましたでしょうか。なんか心に、ぐっとくるでしょう。

 

 パワースポット巡り(215)廿日市天満宮   2014/11/15 

宮島からの帰りに、「廿日市(はつかいち)」という駅がありました。ちょうどこの駅に停まったとき、高台に、何やら神社のようなものが見えました。よく見ると、「天満宮」と書かれています。
なにかひきつけられるものがあって、寄ってみることにしました。

 
駅を降りると、パワースポット特有のこめかみ辺りにキーンとくる痛みがありました。これは天満宮が発しているパワーに違いありません。
駅前のロータリーを通り、すこし歩いたところに来ると、高く築かれた石垣とその上に天満宮が見えました。

 
急激な階段ですが、さっきあの弥山を登ってきたので、らくちんらくちん、

 
境内はかなり狭め。ですが、拝殿を中心に強くキーンときます。その雰囲気が、どこかキリッとしていて威厳のある武士のような雰囲気なのです。何でだろう?

 
境内を見渡してみるとー、
おおっ、ここはもともと「篠尾城」というお城だったようです。なるほど。これで、なんで石垣が高く築かれたような造りになっているのか、なんで武士のような雰囲気のキーンがくるのかがわかりました。

  

対岸には、さっきまで登っていた宮島と弥山が見えました。また行きたいなあ。そのときは、こちらもまた併せて行きたいですね。

 

パワースポット巡り(214)宮島  【旧ブログより】

 

「天才詩人こうやまあきらのブログ」も開始してからもうすぐ10年。これだけ月日が経つと、昔書いた人がもう亡くなられていたり、二度と会うこともない疎遠な関係になった人もいたり、あまり知られたくない恥ずかしい出来事なんかがいっぱい書かれていたりします。

ーそこで、

読んでいただきたい日記だけを、新しいブログ「天才詩人こうやまあきらのブログ!」へと移行させることにしました。

ただ日記数が膨大なので(2500本以上!)、暇をみつけては少しずつの移行となりますので、よろしくお願いします。

 

 

【旧ブログより】

パワースポット!

パワースポッター!!

パワースポッテスト!!!

より強いパワースポットを求めて全国を旅します!

 

パワースポットとは何か?

ウェブを見れば、それこそ風水師、占い師、スピリチュアル・カウンセラー、パワースポット・マニア・・・と、さまざまな立場の方が独自の定義をもっておられるようです。

このわたしも定義をもっていて、その定義は「与えられた限りある命を、せいっぱい生きていく上で、そのエネルギーを充電できる場所」というもの。具体的には、「こめかみ辺りに、キーンという痛みがくる場所」を指します。この感覚はわたし独自のものであり、ほかに聞いたことがないのですが、その能力にはかなり自信をもっているのです。

そんな(自称)第一級パワースポット鑑定士が「年間100ヵ所」を目指してパワースポット巡りをおこないます。

 

パワースポット巡り(214)宮島  2014/011/11

「秋の宮島」だか「安芸の宮島」だか、

どっちだかわかりませんが、

とにかく「秋に安芸の宮島」へ行って参りました!

 

はじめは船で渡ると聞いて躊躇しておりました。なにしろ、「前世が苦しみながら海の藻屑と消えた遣唐使」だと思っているほど船と海が苦手なので。とりあえず岸壁まで行ってみて、船の揺れぐあいをチェックしてから、行くか行かないかを決めることにしました。
そうしたら、実際の船を見て安心しました。てっきり、片足をポンっと乗せた瞬間に、ぐらんぐらん揺れ動く「ボートっぽいやつ」を想像していたのですが、頑丈な「フェリーなやつ」でしたので。あー、よかった。

 
わずか5、6分で宮島へ到着。怖いどころか気持ちがいいほどでした。でも、そうなると、逆に物足りない気分になります。人間の勝手なところですね。

 
まずは、世界遺産の「厳島神社」へ。
あの、あまりにも有名な鳥居です。朝一番の陽を受けて輝いているお姿が、「自身は厳しいところに身を置きながら、神域と島で暮らす人の日々の営みを、『ここからは一歩も通さない』の精神で守っているかのよう」に見えました。それは、感動で涙が出そうになるほど美しい光景でした。これを見るだけでも、ここに来る価値があるのではないでしょうか。鳥居に向かって、ぱん!ぱん!しました。

 
さあ、上陸です。「パワースポット特有のこめかみ辺りにキーンと痛みがくる」場所を探して回りましょう。

まずは、「天神社」が見えるあたりの回廊、

 
石舟のあたり、

 
そして何と言っても、ここ「門客神社」ですね。

 
(あーっ、回廊の下には「箱ふぐ」がいっぱい。かわいいなー。)

 
厳島神社を出た後は、その背後にそびえたつ弥山(みせん)に登ってみることにしました。厳島神社ばかりが有名ですが、本来、そこに祭られている三女神様が最初に降り立たれたのはこっちらしいのです。なんでも頂上には、ぼくの大好きな「巨石群」があるんだとか。これは強力パワースポットを期待できそう。
いくつか登山道があるようですが、ぼくは石段で出来ている大聖院ルートを選んでみました。標高が535mというから、高尾山を一回り小さくした感じでしょうか。これぐらいなら簡単に登れそうだなあー。えっちら、こっちら。

 

おやっ!?登りはじめてからすぐの所に、もう、巨石たちがゴロゴロしています。いきなり、巨石信仰の跡が見られるとは。やったあー!

 
と思ったら・・・「災害関連緊急砂防事業」のために置かれたやつでした(苦笑)

 
すれ違う人、すれ違う人、みんな「登山着」で完璧に固めた人ばかりでした。それに比べて、こっちは出張帰りにちょっと寄ってみただけですから、スーツに革靴という「サラリーマン着」。なんか、「やっちまった感」いっぱいになって登っていきました。えっちらこっちら、と。
すると途中で、いくつかのトレイルランの練習をしている若者グループやスキンヘッドにタトゥーの外国人格闘家グループが、ぼくの横を駆けぬいていきました。

しかし、しょーじき言って、負ける気がしませんでした。こっちは無理して作った体力、気力とは違いますんで。サラリーマンは、「日々の営業によってナチュラルに培われた本物の強靭な体力と気力」がありますので。あいつらに、サラリーマンのすごさを見せつけてやるぜー!うりぁー!

 
・・・ところが、元気がよかったのも最初まで。けっこう急斜がキツい!登りはじめてから一時間ほど過ぎたところで、足はぐらぐらになるは・・・、ふきあげてくる汗でびっしょりになるは・・・、心臓がどきどき鳴ってくるは・・・。これまでパワースポット巡りで、数々のキツい山歩きを経験してきましたが、ここが一番キツいかも・・・。なんか、登って来たことに「後悔」までしてきましたよ・・・。
しかし、しばらくすると、突如として巨石がゴロゴロと現れはじめました。そして、あたりからパワースポット特有のこめかみ辺りにキーンとくる痛みを感じるようになりました。むむむ、どうやら、頂上(ご神域)が近いようです。もうひとふんばりだ。


それからは、見た瞬間に、思わず「うおーっ!」と歓声をあげてしまうような巨石が次々と姿を現しました。どれもこれも、これまでに見てきたどこの巨石よりも巨大で威厳のあるすばらしいものでした。

 

あー、巨石信仰好きには、たまりませんね。

 
そして、ついに頂上へ到着しました。そこはまるで、大神神社のような世界が広がっておりました。かなり強力にキーンときますので、パワースポットとしても強力なほうではないでしょうか。
ただ、大神神社と違うのは、巨石群に立ち入れること。みなさんほとんどが、「観光客」なので、平気で巨石に登って写真撮影をしていました。そういった光景を目にすると、ぼくのような「信仰客」は、少々、寂しい気分になるんです。(案内書によると)弥山は、空海平安時代に開山したと伝えられていますが、もっとずうっと前から、それこそ縄文時代ぐらい前から祭祀がおこなわれていた祭場らしいのです。もともとここは、人々が真摯に祈りをささげる場なのですよ。

 

みなさんがはけて、静かになってから、ぱん!ぱん!をしました。


最後は、「厳島神社奥の宮」である「御山神社」へ向かいました。
三女神様が最初に降り立った場所です。この鳥居をくぐったあたりで、強烈なキーンがきました。弥山で一番強いのはここでしょう。いよいよここから三女神様のご神域に入るわけです。どきどき。

 
そして拝殿へ。ここまで来ると、まず観光客はいません。これまでの喧噪とはまるで別世界に来たようです。ただただ、静寂な時間が流れております。世間とは切り離された場に立ち、神様との対話がはじまるのです。そしてそれは、自分との対話でもあるのです。
しばらくお祈りをしてから、ここまで導いていただいた感謝の気持ちを込めて、ぱん!ぱん!しました。

 
あはっ、さすがは女神様、御神酒が「もものお酒」!(笑)

 


《つづく》

今年最後の新国立競技場:定点観測

 

パワースポット!

パワースポッター!!

パワースポッテスト!!!

より強いパワースポットを求めて全国を旅します!

 

パワースポットとは何か?

ウェブを見れば、それこそ風水師、占い師、スピリチュアル・カウンセラー、パワースポット・マニア・・・と、さまざまな立場の方が独自の定義をもっておられるようです。

このわたしも定義をもっていて、その定義は「与えられた限りある命を、せいっぱい生きていく上で、そのエネルギーを充電できる場所」というもの。具体的には、「こめかみ辺りに、キーンという痛みがくる場所」を指します。この感覚はわたし独自のものであり、ほかに聞いたことがないのですが、その能力にはかなり自信をもっているのです。

そんな(自称)第一級パワースポット鑑定士が「年間100ヵ所」を目指してパワースポット巡りをおこないます。

 

パワースポットだか、負のパワースポットだか・・・、その強い怨念じみた強さから、どちらのパワースポットなのか判別しかねる建設中の新国立競技場。本日、神宮球場観戦が終わり、今年の観測のほうも終了になりました。

数日前には、「工事着工開始時より、地下からおびただしい人骨が出てきたこと」が報道され、かねてより「地下に封印されていたモノが、工事で掘り起こされ湧き出てきた感じがする」と書いてきた、わたしの主張もまんざら外れではないように感じました。

以前ほど負のモノは感じられなくなりましたが、まだまだ多くの波乱がありそうな予感がします。引き続き、来年も観測を続けていきたいと思います。

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今年の旅の終わり

 

世界の富裕層はイベントを求めて一年を同じスケジュールで旅するといいます。
1月はスイスのサンモリッツにスキーへ、5月はモナコにF1観戦へ、7月は夏の日差しを求めて地中海のイビサ島へ、8月にはオーストリアザルツブルク音楽祭を観賞へ、というように。これを「ハイライフカレンダー」というのだそうです。
これと同じように、わが国のアマチュア野球界にもハイライフカレンダーがあるのをご存じでしょうか?4月は東京六大学野球観戦に神宮球場へ、7月は都市対抗野球を観戦に東京ドームへ、8月は高校野球を観戦に甲子園へ、11月には明治神宮野球大会を観戦に再び神宮球場へ旅することをいいます。
日本人にとってみれば、こちらのほうがよっぽど贅沢な旅ではないでしょうか?少なくとも、ぼくにはそう思えて仕方ありません。
さあ、最高の贅沢を求めて、「アマチュア野球界のハイライフカレンダー」に沿って出発です!

 

 

本日をもって、今年のハイライフカレンダーの旅も終わり。数えきれない感動と記憶をもたらしてくれた、この一年を締めくくる最後の試合になります。その試合が、いつも観戦している東京六大学野球代表の慶応義塾大学になるとは。こんな嬉しいことはありません。

 

そして・・・嗚呼、夢の旅の終わり!

例年のごとく、11月中旬に行われる明治神宮野球大会第4試合は、極寒のなかではじまりました。対戦校の東海大学札幌校にとっては、これが「常温」でしょうから、ハンデをしょっての戦いになると思っていました・・・

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しかし、そこはドラフトされた選手たちが並ぶスター軍団。打線が爆発し、見事コールド勝ちとなりました。これで、楽しい思い出のままで来年を迎えることができます。ありがとうー。


 

【旧ブログより】

過去の明治神宮野球大会の日記から引っ張ってきました。

 

「バット・フォーエバー・キャンペーン」の宣伝 2011/11/26
バットの資材になるアオダモを北海道に植樹しましょう、という宣伝。試合前、イニングの合間に何度も流れるので、今年どれだけ聴かされたことか。今日、近くに座っていた高校生が「永遠の悪(ワル)か」と、ぽつり。ちゃんと英語を勉強しなさい(苦笑)

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「さようなら神宮球場」より  2011/11/27

今大会で印象に残っているシーンを。ある大学が終盤にランナーを出して得点のチャンスを作る。この大事な場面で起用された代打にベンチから激が飛びかう。
「先輩!先輩のバットでランナーを還してください!」
「先輩!先輩の一振りで試合を決めてください!!」
「先輩!そろそろ、ほんとの姿を見せてください!!!」
ただでさえプレッシャーがかかる場面で、こともあろうか味方のベンチ、それも後輩たちから精神的に追い込まれていく、かわいそうな先輩。ガチガチになって凡打で終わってしまったことは言うまでもない(苦笑)

 

 屈辱の校歌斉唱  2013/11/18

喧騒を避けて、まばらなスタンドの上のほうに座っていたら、坊主頭に学ランのむさ苦しい○○大学応援団の兄ちゃんがやってきて、「これからエールの交換がはじまります!○○大学の校歌を斉唱しますので、全員、ご脱帽の上、ご起立をお願いいたします!」などと言う。ぼくも含めて周りにいたおじちゃん、おばちゃんたちはみんな静を求めて、ここにやってきただけで、○○大学には関係のない人ばかり。えーっとなる。さらに、「いったんエールの交換に入ったら、この場から移動することを、いっさい禁止いたします!」などと恐ろしいことを言いだす。
ここに居たらまずい!ってなって、みんなわれ先に逃げ出そうと通路へ向かう。ぼくも、あわててカバンを肩にかけて、飲みかけのジュースを持って階段を駆けおりていったら、もう少しのところで、パンチパーマのむさ苦しい兄ちゃんがガバッと前に立ちはだかってきて、「はい!エールの交換がはじまりましたあ!もう逃げることはできません!この場ですみやかに校歌を斉唱してください!」と言ってくる。
しまったーっ、つかまったあーっ!周りを見ると、逃げ遅れた人たちがつぎつぎにつかまっていく。しかたなく、右手を振りあげながら、○○大学の校歌を斉唱する。「おおー、○○ー、われらの母校ー」「はい!もっと大きな声で!」「おおー、○○ー、われらの母校ー」「はい!もっと大きな声で!」「おおー、○○ー、われらの母校ー」
口パクで歌ってるふりをしようにも、坊主頭のほうが口の動きを見てちゃんと歌っているかチェックしているので無理。おまえは大阪府教育委員会かっ。
「おおー、○○ー、われらの母校ー」「おおー、○○ー、われらの母校ー」いつ終わるともしれない校歌斉唱が続いていく。
ちくしょー、東京経済大学卒としては、かなりの屈辱だぜ。
・・・まあでも、楽しかったけどね(笑)

 

 

 

 

今年の旅の終着地「明治神宮野球大会」へ

 


世界の富裕層はイベントを求めて一年を同じスケジュールで旅するといいます。
1月はスイスのサンモリッツにスキーへ、5月はモナコにF1観戦へ、7月は夏の日差しを求めて地中海のイビサ島へ、8月にはオーストリアザルツブルク音楽祭を観賞へ、というように。これを「ハイライフカレンダー」というのだそうです。
これと同じように、わが国のアマチュア野球界にもハイライフカレンダーがあるのをご存じでしょうか?4月は東京六大学野球観戦に神宮球場へ、7月は都市対抗野球を観戦に東京ドームへ、8月は高校野球を観戦に甲子園へ、11月には明治神宮野球大会を観戦に再び神宮球場へ旅することをいいます。
日本人にとってみれば、こちらのほうがよっぽど贅沢な旅ではないでしょうか?少なくとも、ぼくにはそう思えて仕方ありません。
さあ、最高の贅沢を求めて、「アマチュア野球界のハイライフカレンダー」に沿って出発です❗

 

さあ、「大阪=京セラドーム大阪」の旅から帰ってきて、つぎの旅地「東京=明治神宮野球場」へ。此処こそ、今年の「アマチュア野球界のハイライフカレンダー」最終地になります。土日の二日間で今年の旅日程が終了します。

今年もたくさんの旅をして、たくさんの試合を観戦してきました。ただ、ブログの副題に謳っている「年間100試合観戦」に関しては、途中で数えるのをやめてしまったのですが、実感としては遠く及ばないでしょう。来年はきちんと実数を書いて、正確な数をだしたいと思います。

 

< 神宮球場は野外球場なので、季節の変わり目を体感します。朝一の試合に行ったら、席が朝露でびっしょりになっていました。気づかないで座ってしまい「ぎゃっ」と飛び跳ねてしまいました(ぼく以外にも、そういう人がけっこういました)。もう秋なんだなあ、と実感する瞬間です。

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【旧ブログより】

過去の明治神宮野球大会の観戦記を引っ張ってきました。

 

東北代表  2012/04/02

明治神宮野球大会 高校の部」では、東北代表の高校が優勝しました。試合終了後に、「この後、監督と主将と活躍した選手の3人に場内インタビューをおこないます」と、場内アナウンスが流れたのを聞いて、ぼくは「え、そんなことして、いいの!?」と仰天してしまいました。と言いますのも、この高校、東北の出身者がほとんどいないことで有名なのです。大半は関西からかき集めていることが公然の秘密になっている高校なのです。みんなの前でインタビューなんかしたら、どういう事態がおこるのか想像つくでしょう。
そんな不安のなか、場内インタビューがはじまりました。アナウンサーは「東北を代表して〜」とか「東北の被災地に向けて〜」とか、「東北」から来た高校を強調した質問をしていきます。そうしたら、やっぱり、恐れていた事態がおきました。監督も、主将も、活躍した選手も、受け答えがすべてこてこての関西弁でした(苦笑)「ぷっ、関西人じゃん」と、あちこちで笑いがおきていました。

 

言い間違え  2012/11/11

全国から地区予戦を勝ち抜いてきた大学が出場しますので、神宮では聞きなれない大学名がけっこうあります。今日の第4試合は、

大阪体育大学」対「桐蔭横浜大学」対でした。

大阪体育大学の攻撃に入った際に、場内アナウンスの女の子が「○回の表、大阪桐蔭・・・あっ!大阪体育大学の攻撃は」と、言ってはいけない言い間違えをやってしまいました。まあ、たしかに、間違いを誘発するようなまぎらわしい校名対決ですけどね〜

 

最後から二日目  2016/11/12

観客席でファールボールなんかを拾う係は、ユニフォームを着た控え選手がやるようです。はじめ見たときは、「ファールボールを追いかけて、内野手がスタンドまで入ってきたのか」と驚いてしまいました。

ケロちゃん

  

この世にある、「かわいいもの」すべてを目にしたい。最上級の「かわいいもの」、すべてを手に入れた者として名を残したい・・・

いまは、かわいいものを集めた家の一角を「かわいいものゾーン」と呼んでいます。が、さらに、これからかわいいものをコツコツ集めて家をいっぱいにして「かわいいもの王宮」と呼ぶべきコレクションを建ててやろうと考えています。

まあ、それができるのも、ずば抜けた審美眼を持つこの「天才詩人」様しかいないでしょう。

「世界一のかわいいものコレクション」目指してがんばります。まずは皆さまの寄付金をお待ちしております(笑)

 

<(ケロ、ケロ、ケロ♪)


<ねー いま かわいいケロちゃんがここにいるの わかるかニャン?

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<(ケロケロケロ♪)


<えー わからないのニャン?

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<ほら ほら ここにかくれてるニャン!

<ケロ、ケロ、ケロ♪(よろしくケロ)

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パワースポット(680)本陣狸大明神社

 

パワースポット!

パワースポッター!!

パワースポッテスト!!!

より強いパワースポットを求めて全国を旅します!

 

パワースポットとは何か?

ウェブを見れば、それこそ風水師、占い師、スピリチュアル・カウンセラー、パワースポット・マニア・・・と、さまざまな立場の方が独自の定義をもっておられるようです。

このわたしも定義をもっていて、その定義は「与えられた限りある命を、せいっぱい生きていく上で、そのエネルギーを充電できる場所」というもの。具体的には、「こめかみ辺りに、キーンという痛みがくる場所」を指します。この感覚はわたし独自のものであり、ほかに聞いたことがないのですが、その能力にはかなり自信をもっているのです。

そんな(自称)第一級パワースポット鑑定士が「年間100ヵ所」を目指してパワースポット巡りをおこないます。

 

 

さて、大阪から一転、商談がありまして北海道・札幌へ向かいました。ここは、寒さに体が弱かったり、遠くて着くまでにぐったりしてしまったりで、「あまり相性がいいとは言えない土地」・・・。

そうしたら、着くやいなや、このように突然、腕時計の文字盤がポロっと落ちて、机の上でパッキンと割れてしまうアクシデントが発生。なにか不吉な事が起きるような、そんな滅入った暗い気分になりました。

 

(こんなことって、ふつう、起こります?)

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滅入ったまま、夜の街を歩いていると、観光客、とくに中国人でにぎわうアーケード街に行きつきました。何度か札幌に来てはいますが、ここの存在を知ったのは初めて。しばらくお店を見ながら、プラプラ歩いていると、「パワースポット特有のこめかみ辺りにキーンとくる痛み」が。おや、おや、どこかにパワースポットがあるようです。

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すると、ありました。「狸小路」にふさわしい「狸大明神様」です。どこか、(・・・というか、どーみても)観光目当てに造られたマガイモノ神社にしか見えませんが、そのパワーは本物。「不吉を振り払い、いいことが起きますように」と頭を下げてから、パンパン!っとしました。

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その後、商談も成功。来年また札幌に来たときには、お礼参りをしたいと思います。

 

豆猫のサックス演奏隊


この世にある、「かわいいもの」すべてを目にしたい。最上級の「かわいいもの」、すべてを手に入れた者として名を残したい・・・
いまは、かわいいものを集めた家の一角を「かわいいものゾーン」と呼んでいます。が、さらに、これからかわいいものをコツコツ集めて家をいっぱいにして「かわいいもの王宮」と呼ぶべきコレクションを建ててやろうと考えています。
まあ、それができるのも、ずば抜けた審美眼を持つこの「天才詩人」様しかいないでしょう。
「世界一のかわいいものコレクション」目指してがんばります。まずは皆さまの寄付金をお待ちしております(笑)

 


先日、ベルギーで開催された「アドルフ・サックス国際コンクール」で見事、日本人が優勝したというニュースがありました。その日本人はすばらしい奏者だと思いますが、わが国には、まだまだ凄腕のサックス奏者がいることをご存じでしょうか?

それは、わが「かわいいもの王宮くたニャン殿下」直属「サックス演奏隊」隊員である「豆猫」たちー。

 

さあ、登場だあー!拍手ー!

 

<♪ヴォヴォヴォヴォヴォーン~(Take Five演奏中)

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新幹線・函館北斗駅のおみやげ館で、地元のRicoさんという方が売られていました。彼らが満を持してお目見えします。それは、恒例の「神田神保町きっさこ」で開催される個展「こうやまあきら作品展(12/14~12/29)」でのお留守番役。昨年は、くたニャンがぼくの代わりにお留守番していましたが、その代わりをやってもらいます。詳細が決まりましたら、こちらに書き込んでいきます。

 

<ことしも、みにきてニャン!

<♪ヴォヴォヴォヴォヴォーン~(LEFT ALONE演奏中)

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ジャンジャン横丁の将棋道場

 

「天才詩人こうやまあきらのブログ」も開始してからもうすぐ10年。これだけ月日が経つと、昔書いた人がもう亡くなられていたり、二度と会うこともない疎遠な関係になった人もいたり、あまり知られたくない恥ずかしい出来事なんかがいっぱい書かれていたりします。

ーそこで、

読んでいただきたい日記だけを、新しいブログ「天才詩人こうやまあきらのブログ!」へと移行させることにしました。

ただ日記数が膨大なので(2500本以上!)、暇をみつけては少しずつの移行となりますので、よろしくお願いします。

 

通天閣に向かうため、ジャンジャン横丁なる商店街を歩いていると、このような将棋道場の前を通りました。

見た瞬間、ぼくの脳裏にフラッシュバックするかのように、以前テレビで見たある番組を思いだしました。その番組はNHK新日本紀行ふたたび」という伝説の番組(そう言っているのは、ぼくだけですけど)。

その舞台になっていたのが、こちらの道場でした。懐かしいと同時に、胸にうっとくるものがありました。大切なことなので、旧ブログからその番組について書いた日記を貼りつけます。

誰かあの番組を見た人、いませんかねえ~。

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【旧ブログより】

 三十年後には・・・  2011/04/19

あるテレビ番組を思い出した。もう7、8年前になるのだろうか?NHK「新日本紀行ふたたび」という番組だ。昭和50年に放送した大阪の通天閣のふもとにある横丁を、30年後にどうなったのかふたたび訪ねてみるという企画だった。
これから書くことはすべて過去の記憶に頼っており、細部にはかなりの間違いと妄想があると思われます。何卒、ご了承ください(苦笑)


30年前〜。

この横丁には将棋を指す文化が根付いていて、10を超える将棋道場はどこも客でぎっしり満員だった。待合室を将棋道場に改造した床屋では、休憩時間になった店員が走って将棋を指しにいく有様だ。そんな横丁で、その強さから「現代の阪田三吉」の異名をとる50代のオッチャンがいた。インタビューを受け、「わしは現代の阪田三吉と呼ばれてますがの〜、古い戦法で今の将棋界では時代遅れですわ~」とうそぶき、不敵な笑みを浮かべ煙草をフーッと吹く。

オッチャンは日中、牛乳配達の仕事をしていて、仕事が終わると将棋道場に向かう。道場に着くと、髪をオールバックにした痩せギスのボーイさんがドアを開けて向かいいれる。オッチャンはいつもの通り沿いの席に座る。店内の客だけでなく、オッチャンの将棋を見たいギャラリーが道いっぱいに集まってきて、ガラスにへばりついて一挙手一投足を真剣な目で追いはじめる。画面からは、この横丁の熱気や、この時代の熱気、そして将棋の世界というディープな世界に生きる男たちの熱さが伝わってくる。

そして30年後〜。

番組があのオッチャンのもとを訪ねる。安アパートのドアを開けると、あのオッチャンが出てくる。髪は真っ白になり、目は緑内障でほとんど見えない、足はおぼつかなくなって杖をついている。奥さんとも離縁して今は一人暮らし。冷蔵庫から牛乳パックを取り出そうとして床に落としてしまい、溜め息をつきながら雑巾で拭きとる。そんな痛々しい場面が映しだされる。80代になれば当然かもしれない。かつての映像とのギャップに驚く。オッチャンは毎日の日課があると言って、杖をつきながらバスに乗り込み、地下鉄に乗り継ぐ。あんなに不自由な体で遠出してまで何処に行くのだろうか?病院にでもいくのかと思ったら、向かった先は、あの30年前に放送した横丁にある将棋道場・・・。

横丁はかつての熱気がまるでない。時代の流れについていけずに衰退する一方だ。近くにできた大型商業施設のせいで、かなりの店がシャッターを降ろしたままになっている。道場も30年前の熱狂ぶりがすっかり消え失せ、数名の老人が暇そうに将棋を指しているだけ。白髪で痩せギスの店のオーナーがインタビューを受けて「10以上あった道場も今や2つしかないよ」と言う。実は、このオーナー、30年前の放送でこの店のドアを開けた髪をオールバックにした痩せギスのボーイさんだというナレーションが入り驚く。店を買い取り、横丁の将棋の灯を守っている。

オッチャンは、いつもの通り沿いの席に座る。30年前、道いっぱいにギャラリーを集めたあの席で将棋を指しはじめる。すると、道いっぱいではないけれど、3、4人のギャラリーが集まってきて、ガラス越しにその一挙手一投足を真剣な目で追いはじめる・・・。