天才詩人こうやまあきらのブログ!

パワースポット巡り100ヶ所、野球観戦100試合、日本酒100銘柄の年間トリプル100を目指して

2014年末 大谷吉継の墓参りの旅 【旧ブログより】

 

「天才詩人こうやまあきらのブログ」も開始してからもうすぐ10年。これだけ月日が経つと、昔書いた人がもう亡くなられていたり、二度と会うこともない疎遠な関係になった人もいたり、あまり知られたくない恥ずかしい出来事なんかがいっぱい書かれていたりします。ーそこで、読んでいただきたい日記だけを、新しいブログ「天才詩人こうやまあきらのブログ!」へと移行させることにしました。ただ日記数が膨大なので(2500本以上!)、暇をみつけては少しずつの移行となりますので、よろしくお願いします。

 

 

ここ最近、年末に、「その年で一番印象に残っているパワースポットや土地」を再び旅することにしています。そうすることで、よりいっそう、その土地の印象が深まり、思い出深くなるからです。平成26年(2014)の年末は、関が原と猿投山を目的に巡ってきました。その日記を二日に分けてアップします。

 

 パワースポット巡り(213)(214)大谷吉継の墓、平塚為広の碑  2014/12/31

 

今年、平成26年を締めくくる最後の旅行をしたいと思い、行き先を考えました。


今年を振り返ってみますと、最も印象に残っている出来事といえば、2月に行った「関ヶ原の合戦巡りの旅」でした。そのときは、予備知識をいっさい持たずに行き、満足して帰ってきました。しかし、帰ってから、改めて資料を読んでみると、「肝心な箇所に行っていない」ことに気づきました。それは、西軍「大谷吉継」の墓です。資料を読めば読むほど、この戦いの本当の主役は家康でも光成でもなく、吉継なのだと思えてなりませんでした。


ー吉継は、秀吉からも認められた勇将でしたが、今でいうハンセン病だったようです。武将たちが集まったとあるお茶の会で、みんなが吉継の口をつけた茶碗を気持ち悪がって飲んだふりをしていたなか、光成だけが口をつけて飲みほしました。吉継は感激し、それ以来、光成とは堅い友情で結ばれました。やがて光成が西軍を率いて、家康と戦うことを聞かされると、断固反対します。吉継の目には、光成に勝てる見込みがなかったからでした。それでも光成の決意が固いとみるや、負けるとわかっていたにもかかわらず、友情を貫くために参加。そのときの格好は死を決意した死装束だったといいます。

そして、吉継のすごいところは、あらかじめ小早川秀秋が裏切ることを予想していたことでした。そのときに備えて、秀秋のすぐ横に陣をはっていたのです。一進一退の攻防が続く中、予想通り秀秋が裏切りると、勇猛果敢に戦い、圧倒的に数の多い秀秋軍を再三押し返したといいます。しかし、吉継をもってしても予想できなかった事態が起きました。それは、秀秋に乗じて他の4人の武将たちも裏切ったことでした。東軍、裏切った小早川と4人の武将らに攻撃されて、壊滅状態へ陥ってしまいました。

吉継は自軍の負けを悟ると、最後は山中に逃げ込み、「おのれ秀秋!人面獣心なり!3年の内に呪い殺さん!」と呪いの言葉をはき腹をかき切ったといいます。実際、それから3年後に秀秋は発狂して死んでしまったのですから、本当に吉継の呪いによるものなのかもしれません。


「熱き友情」「負けるとわかっている戦い」「裏切り」「非業の最期」ーこれだけ男の浪漫(という名の妄想)をかき立てるキーワードてんこ盛りの人物なんて、マンガの主人公以外にはいないでしょう。こういう人物を、男のなかの男というのだと思います。この戦いで、吉継が主人公だというぼくの主張もわかっていただけるのではないでしょうか。というわけで、今年最後の旅は、前回に行けなかった「大谷吉継の墓参り」にしようと決めたのでした。

 
名古屋駅からJR東海道線に乗り関ケ原駅で下車。そこから、山道を通って約30分、吉継の墓です。よく晴れたいい天気ですが、うっそうと生い茂った樹木が陽を遮り、周囲はうす暗いほどでした。墓から沸き上がるパワーに頭がぐらぐらしていました。参拝者はほかにいなかったので、じっくり、吉継の魂と対話ができた気がします。男としてこうありたい、と思いまして、ぱん!ぱん!とさせていただきました。

 
さらにすこし歩いたところに、「平塚為広の碑」がありました。為広とは吉継の友人であり、こちらも友情のために参加した武将です。小早川たちの裏切りにあい自軍が壊滅状態に陥るなか、覚悟を決めて、吉継あてに「名のために 棄つる命は惜しからじ 終にとまらぬ浮世と思えば(名誉のために棄てる命は惜しくない、人は永遠に生きられないのだから)」という辞世の句を書いて従者に渡します。それを読んだ吉継は「契りあれば 六つの巷に待てしばし 遅れ先立つ違いありども(六道の辻で会おう 会うのにすこし先か後になるかの違いがあるだけだ)」という返句を書いて従者に返しました。返句が届いたときには、すでに為広は壮絶な死をとげており、読まれることはなかったようですが、命ぎりぎりのところで詩(句)のやりとりをする二人に心がつき動かされました。命をかけた詩作・・・。ひるがえって自分の詩を省みると、そんな真摯な気持ちで作っていたのか考えさせられました。さらには、命をかけた詩のやりとりをするような、心を一つにするような相手がいるのかを考えさせられたのでした。この碑が発するキーンとくるパワーは吉継の墓に勝るとも劣らない強さがありました。そっと手をあわせてから、ぱん!ぱん!としました。

  

ああー、ぼくも、なんか辞世の句を書きたくなったなー(笑)

 

 

「天才詩人こうやまあきらの個展」やっています!

【期間】12月14日(土)〜12月29日(日)
【場所】神田神保町きっさこ

「都営新宿線神保町駅」A4出口から白山通りを水道橋駅方面へ。途中、マツ                                                モトキヨシの角を左へ曲がり、さらに一つ目の角を左に曲がった裏通り